かつての日本人が命をかけて守った日本の未来は、彼らが望んでいたものになっているのかな。
日本をどうにかするだとか、日本人であることを誇りに思えとか、そんな大きなことは言えないし、
そもそも日本人であることのアイデンティティをうまく説明できるわけではないけれど
今の暮らし、今の自由を、そして周りの人たちを、大切にしていかなくてはと、そう思いました。
そして、国でおこっている物事に対しても、自分の意見を持たなくちゃいけないね。
早速感化されてあれだけれども、
昨日特攻隊員の辞世の句の話を聞いた。
私は、過去の戦争は過ちで、みんな洗脳されてて、恐ろしい時代だったように思っていたけれど、
どうやら、誰も、正しいと思って、やりたいと思って、戦争をしていたわけではないと、気づいた。
戦争が正しい解決方法ではないことも、人が死ぬことも、みんなわかっていたのに、戦争は起きた。今でも起きている。
武力での解決は、永久に上下をつくり、いつまでも繰り返す。
同じ土俵で、対等に話ができていたら、武力なんか持ち出さずに済むはずなのかな。
武力を持ち出す国があるのであれば、対等な土俵にたてていない。
みんなが一列に並ぶことを言っているんじゃなくて、命の尊厳という、根本での平等がないがしろにされているからなんじゃないか。
大きなかたまりで“国”を見てもなかなか見えてこないけれど、考えればそこに、社会があり、地域があり、家族があり、人がいて、命がある。自分や大切な人のと同じ、命がそこにある。
暮らしがある。
命を1対1で同じ対等なものでみれたら、武力の誇示で国の上下関係が決まるような時代は終わる。
守るために使う武力は、誰のことも傷つけない?
戦争が正しいだなんて、誰も思っていなくても 戦争は起きた。
戦争のない世の中を夢見て、ノチノニホンを守るために散っていった命があった。
思考停止してはいけない。
8日から、この空の花のレンタルが始まるそう。絶対にまた見なきゃ。いま、見なきゃ。
http://m.youtube.com/watch?v=CivwjE-pHJY
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